どうも、ちゃーこです。
2020年7月、世界がコロナに染まる中、待望の第1子である娘を出産しました。
夫婦で望んで授かったかけがえのない我が子です。お腹で育てている間、ずっと愛しくて仕方なかったのに、産後、子どもを可愛いと思えなくなり、この世から消える方法を模索するほどに、追い込まれていた時期があります。そう、「産後うつ」です。
私は、極限の状態の中、乳児院に子どもを預け、一時的に離れる選択肢を選びました。賛否両論あると思いますが、当時取れるベストな選択だったと思っています。
「助けて」、と言えたから、今があります。いつまでもこの暗闇が続くのではないかと、当時は目の前が真っ暗で本当に苦しかったです。
私の実体験が誰かの糧になれば幸いです。
もし、今、貴方が辛くて誰にも言えずに苦しんでいるなら、お問い合わせフォームからでも、twitterのDMからでも構いませんので、ありのままの気持ちを送ってください。話を聞くことしかできませんが、どうか、ひとりで溜め込まないでください。
必死に育児を頑張っているお母さんが、「助けて」と言えますように。
産後うつとは
「自殺」は、産後1年未満に死亡した女性の死因1位であり、(2015〜16年、国立成育医療研究センター調査)、その最も大きな要因は「産後うつ」であると考えられています。
「産後うつ」は病気です。インターネット上で度々「甘え」と言われていますが、その認識は誤っています。放っておくと死に至る病気なのです。
産後うつとは、産後に発症するうつ病のことで、生活環境・ホルモンバランスの変化が要因とされています。主な症状として、抑うつ気分、興味・喜びの消失、不眠、自尊心の低下、無気力感、情緒不安定などが挙げられます。また、重度になってくると、消えてしまいたいと感じ、自殺に繋がる恐れがあるため、注意が必要です。
症状が似ているためマタニティブルーズと混同されがちですが、まったくの別物です。
マタニティブルーズと産後うつの違い | ||
マタニティブルーズ | 産後うつ | |
発症割合 | 約30% | 約10~20% |
発症しやすい時期 | 産後3~5日頃 | 産後2週間~3か月頃 |
症状の継続期間 | 1週間~2週間 | 2週間~1年以上 |
マタニティブルーズは一過性で、なにもせずに自然と症状が消えていきますが、2週間以上うつ症状が続く場合は、産後うつが疑われます。
産後うつの可能性があるとされる母親はコロナの影響で24%に上るとの報告もあり、4人に1人の割合で産後うつの恐れがあるとされています。ただでさえ閉鎖的で慣れない育児の中、コロナ感染に対するストレスも加わるとともに、周囲との交流がさらに遮断されていることも大きな要因でしょう。
理想の母親になれない自分へのジレンマ
産後、慣れない赤ちゃんのお世話で肉体的にも精神的にも疲弊していくところに、ホルモンバランスの変化が重なります。急激なホルモンの変化に対応できず、脳のストレスに耐える抵抗力が低下し、何もかも物事を否定的に捉えるようになります。
「母になったからなんでもしなくてはならない」、「家事も、育児もできて当たり前」、「誰にも相談できずひとりで抱え込む」、そして、またストレスが蓄積されます。
私は、負の連鎖を断ち切ることができずに、苦しみ続けました。
なにもかも想定外の出産
出産予定日を間近に控えても、逆子のままだったため、本来の予定日より10日ほど前倒しして、予定帝王切開で娘は産まれました。
出生時の娘の体重は2,300gほどと小さく、低出生体重児に分類されます。
「もっと逆子体操を頑張って逆子が治ってれば、予定日までお腹の中で大きくなれたのではないか。私が逆子を治せなかったせいで、この子は小さく産まれてしまったのではないか。」
産後しばらくは、帝王切開での出産を悔やんでばかりいました。
そして、娘は多指症でした。
私のせいで、娘は多指症で産まれた。娘を正常に産んであげられなかったことに対して、ただ、ただ、自責の念が募ります。
実の母親に出産の報告の電話をした際、6本目の小指のことを報告すると「………残念だったね。」と一言。悪気はなかったと思うのですが、私はこの子を「残念な子」として産んでしまったのか、と胸が締め付けられました。
なにもかも、自分が思い描いていた出産と異なり、この時点でだいぶ不安定になっていたと思います。
入院中、産後うつのチェックに使用されるエンバシラ診断のスコアが高く、「うつ傾向にある」、と診断されました。助産師さんには「出産直後のお母さんはだいたいそうなるし、時期に落ち着くから大丈夫。退院後辛くなったら、ショートステイもあるから利用してね。」と言われ、時折あふれ出てくる涙も、娘の将来への不安も、きっと、そのうち治る、と信じていました。
上手に母乳が吸えない娘に苦戦
出産した産院は、母乳育児を推奨していました。
私自身の母乳はよく出る方だったのですが、娘は授乳中にすぐ疲れて寝てしまう子でした。起こしても中々起きず、一定時間授乳した後、毎回スケールで授乳量を計算し、足りない分を補うためミルクをお願いしていました。
何度も寝て、起こして、寝てを繰り返す娘と、授乳クッションが帝王切開の傷に当たるのが痛くて、どんどん授乳がきつくなってきた私は、頻繁にミルクを頼むように。
ある時、看護師さんにミルクを頼んだら、「母乳出るならあげなくちゃ。いつもミルクお願いしてるけど、お家に帰ったらスケールないんだから、どれだけ飲んだかわからないんだよ。万が一足りてなくて、赤ちゃん熱中症になっちゃったら、今、コロナでどこの病院も受付してないから、大きな病院に行かなきゃ行けなくなるよ。」と言われてしまい、この言葉は後々私を苦しめる呪文となります。
ただでさえ、低出生体重児で産まれて、その上、多指症なのに、これ以上私のせいで、娘が何か苦しい思いをするなんて耐えられない…。
退院するまでに、なんとか一定量吸ってもらえるようになろうと、授乳中に寝てしまう娘を何度も起こして、傷の痛みも我慢して、とにかく必死です。
退院後、理想の母親像を求めて
退院後はすぐに自宅に戻り、娘と夫と私と、家族3人での生活がスタートします。
昼間、夫は仕事に出ており、いわゆる、ワンオペです。双方の実家の援助は受けることが難しい状態でした。
産休に入る前は夫婦共働きだったので、働いていないという引け目から、自分が家のことをすべてこなさないといけない、と思い込むようになります。
夫は積極的に家事・育児に参加しようとしていたのに、私はそれに頼ることに罪悪感を感じてしまうのです。
「外で一生懸命仕事をしているのに、家のことまでさせるのはきついだろうし、体力の限界がきたら、夫が倒れてしまう。私がしっかりしなくちゃ、いつか見捨てられてしまう。」
差し伸べてくれていた手を自ら振り払い、夫の協力的な姿勢を「自分でできるから…」と、遠ざけてしまいます。
理想の育児のために「〇〇しなくてはならない」、「〇〇でなくてはならない」と様々な条件を自分に課し、達成することができなかった日は、母親失格だと考えるようになってしまいました。
自分が描いていた、「ちゃんとした母親」になるために必死で、育児を楽しむという感覚は全く持てませんでした。
他にも病気があるのかもしれないと不案に
低出生体重児で多指症で産まれた娘。産院で何も問題ない、と言われたけれど、他にもなにか大きな病気を持っているのではないかと、不安は尽きません。隙間時間を見つけては、ひたすらインターネットで育児情報を調べます。
相変わらず、母乳を飲みながら寝てしまって、ちゃんと授乳量が足りているか不安になった私は、ベビースケールの購入に踏み切ります。毎回、母乳をあげるたびに、スケールで測って記録していました。
また、授乳の時間もすべてタイマーで計測。吸ってる途中で寝てしまったら、タイマーを一度止めて、起こして飲み始めたら再開。熱中症が怖くて、かなり徹底的に管理していました。
授乳量で一喜一憂し、あまり量を飲めないときが続くと、やはり、どこかが悪いのではないか、と、インターネットで検索。吐き戻しを繰り返す娘を見て、消化器官に異常があるのではないか、と、また、検索。たいていは問題ないと記載されているのに、目につくのは、不安を煽る記事ばかり。
何かあるたびに、娘は病気だと思い込むようになります。夫に「心配だから病院に連れて行きたい。」と伝えても、「そんなことない、考えすぎ。」と取り合ってもらえません。
「もし、〇〇(病名)だったらどうしよう…。もしかしたら〇〇(先天性の疾患)かもしれない…。あぁ、どうしよう…どうしよう…どうしよう…。」
調べれば調べるだけ不安になるのに、調べずにはいられないし、娘が大きな疾患を抱えていたら…と、想像して苦しくなる負のループに。
段々と、物事を悪い方向にしか考えることが出来なくなっていました。
すべてにおいて自信がなくなる
日中は娘と2人きり。基本的に、新生児は泣くことでしか意思表現ができません。
思考がマイナス方向にしか働かなくなった私は、娘に対して行っている自分の行動すべてに対して、自信を持てなくなります。
「泣いていたから授乳したけど、本当はおっぱいで泣いてたんじゃないのかも…。抱っこしたら寝ちゃったけど、本当はもっと起きてたかったのかも…。」
泣いてる本当の理由がわからない自分に、腹が立つとともに、母親としての自信がどんどんそがれていきます。
泣いて何かしらの不快感を訴えてくる娘に対し、こちらができるお世話は、おっぱい、オムツ、抱っこ、この3点しかないのですが、選択肢を間違えたら、娘が苦しむのではないかと考えるように。その場は娘と2人きりなので、相談できる相手もいません。
娘が泣くたびに、本当の正解がわからない要求に、動悸が激しくなり、手は震えるようになってしまいます。そして、娘に触れるのが怖くなりました。
子どもが可愛く思えない自分はおかしい
娘が怖い…。
なによりも娘を愛すべき存在である母親の自分が、こんな感情を抱いていることに、罪悪感と嫌悪感が沸き上がります。
インターネットには、「子育ては大変だけど、子どもが可愛いから頑張れる。」って、キラキラした書き込みばかり。
「どうして私は、娘のことを可愛く思えないんだろうか…。自分で望んで産んだのに、会えるのをずっと楽しみに待っていたのに…。どうしてこんなに苦しいんだろう…。」
そう思っていることが恥ずかしくて、娘にも申し訳なくて、誰にも言えませんでした。世の中のお母さんは、きっと、私よりももっと頑張っているのに、どうして私は頑張れないんだろう。
もっと、もっと頑張らなきゃ。なのに、もう疲れちゃった。
無表情で私を見つめる娘の目を見ると、そんな、心の奥を見透かされている気がして、情けなさばかりが募ります。
私を取り巻くすべてから逃げだしたくなり、「このまま、消えてしまえたら…」と考えるようになりました。死ぬのは怖いけれど、もしかしたら、楽になれるかもしれない…と思いつつ、結局、怖くて死ねません。暗闇はひたすら続きました。