娘が帰ってきた日
娘と離れていた期間は、3週間です。我が家を出たときと同じセレモニードレスを着た娘は、少し重くなっており、一緒に過ごせなかった時間の存在をどうしても感じさせます。
久しぶりに娘を抱くことに対して、少し恐怖心があったのですが、動悸や手の震えはありません。再び娘を抱けたことが、ただ、ただ、嬉しかったです。
娘が帰ってくるとき、我が家には保健師さん、養育支援員のMさん、乳児院の職員さん、児童相談所の職員さん(2名)、夫、私、娘…狭い我が家に8人が集いました。
乳児院での娘
まず、乳児院での様子を児童相談所の職員の方が説明してくれます。
「職員の方、皆に可愛がられていました。ちょっぴり寂しがり屋さんで、近くに人の気配がないと泣いちゃうようです。抱っこしたり、そばについていてあげれば、落ち着きます。あと、ミルクはのんびりだけど全部飲んでくれます。温かいミルクが好きなので、冷めてきたら電子レンジで温めて与えていました。おむつかぶれもお薬を塗ってよくなっています。薬は余りましたが、こちらで処分しています。」
そのお話を聞いて、細かいところまでフォローしてくれて、丁寧に預かってくれていたんだと安心しました。
娘の成長を見守ることができなかった期間が、空白になってしまわぬようにと、何枚も撮ってくれていた写真からも、大切にしてもらっていたことがわかります。
寝顔や起きてるところ、なぜか、大量の風船に囲まれている娘の姿まで…。きっと、たくさん可愛がってもらっていたことでしょう。
養育支援員さんのサポート
養育支援員さんとの今後について、保健師さんが説明をされます。
保健師さんは一通り説明を終えられた後、「今日はMさんと一緒に来たけど、明日はYさんと一緒に来ますね。」と締めくくられました。
どのようなサポートをしてくださったのかは後述しますが、Mさん、そして、後日紹介されたYさんともに、とても気さくで優しい方で、本当にお世話になりました。
人間はそう簡単には変われない
養育支援員さんのサポートが受けられるということもあり、夫は普通に出社していました。
そして、私は精神科の先生の言う通り、「一度壊れた心と体は簡単には回復しない。」ということを、まざまざと体感します。また、どれだけできない自分を許そうと思っても、人間の性質はそう簡単には覆りませんでした。
娘を迎え入れて1週間経過した日の朝、再び過呼吸を起こしてしまった私は「やっぱり、娘をもう一度預けたい。2人きりで一緒にいることが怖い。きっと、私はダメな人間だから、養子に行った方が娘は幸せかもしれない。」と夫に訴えます。
夫は困り果てていました。
経験したことのある人ならわかると思いますが、精神的に不安定な人間を支えるのは、その周囲も非常にエネルギーを使います。
きっと彼はできうる限り私に寄り添ってくれていたはずです。なのに、またこのような状況になってしまい、娘にも夫にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
しばらくの沈黙の後、夫の口から出た言葉に耳を疑いました。
「俺、育休取る。一緒にいるから。」
前途した通り、夫の勤務先はコロナ禍で経営が傾いている状況です。育休をとることを頑なに拒んでいた夫から、そんな言葉が出るとは想像できませんでした。
夫はその場で職場に電話し、その日から育休に入ることが許されました。正当な手続きを踏まなかったのに、対応してくれた夫の勤務先には感謝しています。
余談:夫の育休に関する知識
後々、聞いてわかったことですが、夫が育休の取得を迷っていたのは、コロナ禍の影響で人手が必要なのはもちろんのこと、「育児休業給付金」は会社が負担することになっていると思っていたからだそうです。
ただでさえ経営難なのに、育児休業給付金まで出せないのではないか…と。
なんということでしょう。そんな理由で育休の取得を迷っていたなんて思いもしませんでした。
私は「育児休業給付金は雇用保険から出るんよ。なんのために毎月の保険料払ってると思ってるの?しかも、会社は雇用継続しながらも、給料や会社が負担していた社会保険料も払わんでよくなるんやから、コロナで利益でてなくて、会社が給料出すのきついなら、育休取ってくれた方がありがたかったかもな。」と強く言ってしまいます。
夫が仕事を一生懸命頑張っている傍ら、私のことも必死で支えてくれていたのはわかっていましたが、そのとこを知っていたら、もうちょっと早く育休を取ってくれていたのかな、と思うと今でもちょっとだけモヤモヤ。
少し言い過ぎてしまったとは思うので、反省しています。